私の大学時代の恩師
近藤三雄先生が、環境緑化新聞にて「造園界への遺言」としてコラムを寄稿されている
そして、その寄稿が過激さを増し、面白いものとなっている
今回のコラムの要約はこんな感じです
造園は負け戦をの連続である。
陳腐な潜在自然植生理論を振りかざし、苗木を植えることでイニシャルコストも低減でき、その後の管理も不要・・そして、数十年後には森になる。そんな魔法のようなことに企業経営者は賛同し、いたるところに、怪しげな空間を作りだされたと。それは、造園界の発言力不足である。
自然環境等、造園界が主役になるべきことすべてにおいて、後塵を拝したのは造園界・造園家の力量不足と、造園の請け負い体質の弊害であると・・
これからの造園界においては、小異を捨て、大同団結し造園界の力を結集すべきであると。
そして、最後には「決起しよう」としめている
久々に痛快なコラムを読んだ気がしました
近所の大手スーパーに行くと、まさにその緑地があり
あらら・・な体をさらしています
街の中の緑は、ペットを飼うこと同様に手間を必要とするものです。
ほっておけば、ちゃんと育つということはなく
放置されたら、危険な野良犬同様、危なく汚いものとなってしまいます。
そういった野良犬は、かわいそうなことに、捕まり処分されます・・・
実は同じく生きている植物も同じ目にあっています。
本来、植え方を考えて適切に植えられれば、すくすく育ち、人間と同じくらいか、それ以上の寿命を、本来の姿で終えるものもいるのに・・・
考えられないくらいの、剪定を行われ、その姿からは、その樹木がわからないものもあったり、または、不快なものとして処分されるものもあります。
潜在自然植生理論を振りかざした植栽手法は、きっと、それを振りかざした本人でさえも、想像しなかった結果を招いたに違いありません。
街の緑は、そこに生活する人間と共存の中で生きていかなければならない宿命があるような気がします。
じゃ、野鳥は?動物は?昆虫は?という話もあるでしょうが・・
それはそれで、街中に、その機能を有する緑地は必要だと思います。
ただ、それはスーパーの店先でも、狭い公園の一角でも、道路の中央分離帯でもないと思います。



